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内や個や私に向かっていって同情、いや共感を得ようとする文章を書くのは絶対に嫌で、まだ愚痴の方がいいと思う。

mixiというコミュニケーションツールの限界はここで、どんなに外へ発信しようとも、流されてしまう。読み手だけが悪いのではない。
ある友達が、0の奴にはなにをかけても0だ。0のやつらにわからせる必要はない、といっていた。
これは正しい。
そして正しくない。

怒りや、ポリティカルなことや、ポジティブさについてのメッセージはうさんくさく暑苦しいかもしれないが、そのうさんくささや暑苦しさを乗り越えた文章が名文と言える。
そのために必要なのは、理論とか証明とか真実とかそういったことで、あたしが最も不得意とする分野なのだけれど、それでも書かなくちゃいけないから、そこは努力だ。努力しろ、あたし。

あたしがもしも、少しだけ発言力のある人間だったら、知らない人があたしの日記を読みにくるような、そういう人間だったら、芸能人とか著名人とまではいかなくても、あの人がどんな今日をすごしたのか知りたいという人が、顔の知れた友達だけでなく、見ず知らずのどっかの誰か、くらい発言力があったら、mixiはそこでやっと有効になるだろう。

残念ながら、そんなたいそうな人間ではないのです。


でも、毎日、がんばろうと、仕事、一生懸命やろうと、そう思った。
ゆとりのある生活や、時間のある生活をよしとし、仕事のし過ぎで忙しいことは最近あまり褒められたことではないようだが、んーなものはクソクラエ!shove it up your assですよ。

いつか、幸せな音楽を作りたいです。









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今日は夕方から涼しいですね。

天からいろいろ降ってくるのを待っている私ですが、今のところ、小雨に留まっています。

レイチェル・カーソンのsilence of springを読んでいます。
資料としてとても重要なのです。

いろいろ考えます。

ゆっくりやんわりいきたいので、九月には徳島に行ってきます。
アレックス・カーの旅。

祖谷でのんびりしてみます。

だから早く7月が終わったり、8月が終わったりするといいな、と思います。
それまであいてるとこにもいろいろ突っ込みます。
あいてるとこにはお茶とかバスケとかお酒とかを突っ込みます。

お金がたーくさん欲しいです。

そしたらニューヨークに行きます。


ダブルのカフェラテが大好きです。

夏ですよ。

今日はお仕事休んで、家で今までゴロゴロしてましたが、そろそろ動かなきゃ。。。

駅前のカフェとかに行って、書いたりする仕事でもします。

まりちゃんと、ヒロパパと、真愛と銀がお引っ越ししてしまうので、お絵描きしました。新居に飾ってください。

暑い。暑くて何も思いつかない。。。
若林勇人という写真家がいる。

今年の夏、写真展をする。

丁寧に考えながら写真を真摯に撮る。
最初に写真を見せてもらった時、とても器用だという印象を受けた。
それから数ヶ月。
写真ではなく、彼の人となりを知れば知るほど、ただの器用さが美しいものに変わっていく。

昨夜、酔っぱらった彼は、個や表現はもういらない、とメールをしてきた。
外へ、外へ、そうして向かって行く写真を撮っていくのだと、私はそう思う。
ブログや日記のような写真表現の手段を、時代の瞬間性が「アリ」にしてしまう今、それはそれで確かに「アリ」なのだろうけれど、私が関わっていきたいのは、それではない。巻き込まれた一過性の美と、一過性でありながら永遠という性質を内包する独立した美は決定的に違う。
孤立無援の花なのでしょう。

写真よさようなら、そして光と影。

今度こそ、キュレーターではなくディレクターであろうと、そう思うのは、写真を撮る人たちや、ものをつくる人たちに、もっともっと創って欲しいからです。

とうとう私の先が変わろうとしてて、それがすごく怖くて、でも行くしかないなーと、思うのです。

Viva La Vida。
ゲロ吐きながらとか、泣いたりしながら何かを、というか仕事をするのは、その先に、喜びが待ってるのを知ってるからで、働きすぎとか言われてフラれたり、唯一ボロボロ泣くことのできる相手である元カレが理解しないからって国際電話で八つ当たりとかしても、仕方ないと思う(←ひどい)。最後にあたしがちゃんと笑えばさ。



でも、過程が結果をよりよくするためにあるなら、どんな過程であろうが構わないというのは間違ってるよって、それが甘っちょろい理想だと言われようががなんだろうが、やっぱそう思うって、その過程の在り方や、たった一言の言葉使いや、責任の投げ方、そういうのには作法があるんだよって。
一人で立って戦って、ボロボロになって最後までやって、結果が出たところで、一人で喜んでるばばあ見て一緒んなって、やったね!!って気分になんてなんないし。
てめーなんてなんにもしてねーじゃねーかよ、って心の中で思ってる最中に、ハグとか、ばばあにされても何の感動も無いし。

その先の喜びも何もどうでもよくなって、怒りとかっていう気持ちしかないから、 やっぱりやめなきゃねー。

馬場ちゃんとか、東川のお父さんとかお母さんとか、蝦夷のお兄ちゃんとか、青木さんのお兄ちゃんとか、西川さんとか、笹寿司のおじちゃんとか。そんな人たちの顔を思い浮かべると、やっぱりちょっと悲しくなるんだよね。町長の顔とか思い浮かべるとバカはどっか行け、とか思うけど(笑)


あたしに東川がくれたものは、もう返しきったと思う。
だから、今年はやめるために話術を勉強しよう。えへへ。
あたしには呼び名がいっぱいあって、そのうちの一個はあたしにはもったいないくらい素敵な呼び名で、そんな呼び名に負けないような、人に、なるよ。がんばるよ。


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