love²=hate!
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午後、師匠から、恩師が亡くなったってメールが来ました。
覚悟してたけど、こんなに早くそれがやってくるとは思ってなくて、やっぱり悲しくて、いろんなことを思い出すよ。 今日はたまたま午前中に石元先生からギャラリーに電話があって、なんとなくだけど、長く生きるってどんなふうなことだろうって、考えてた。 その時思ったのは、石元先生は87歳だけど、あたしの先生は、石元先生より30歳くらい若くて、でもきっと長いことはないから、87歳で見える景色を見ることができないってことだよなあ、ってことで、そしたら午後、そんなメールが来て、あたしが午前中にそんなこと考えてた時には、先生はもうここにはいなかったんだって思ったら、胃のところがぎゅーってつまったみたいになった。 りさくさんに電話して、しゃべってる間、泣かないようにって、思ったけど、無理だった。 元気だして、って言ってくれたけど、あたしより全然辛いだろうりさくさんに、あたしは、りさくさんも、って言うしかありませんでした。 大学はいってからずっと今まで、お世話になりっぱなしで、何を返せるわけでもなく、とにかくこの世界から逃げずにやることだけしかできませんでした。 発覚してから一年もたってないけど、癌だって言われてから、いつまでたっても半人前の私が私は嫌でしょうがなかったよ。 先生がいなかったら、私はこうして好きなことだけやって生きてなかったと思う。 きっとちゃんと就職して今頃は休日に美術館とか行って、私昔写真専攻だったんだよねー、くらいだったんだろう。 師匠とも出会えなかったし、今私の周りにいる大半の人たちに出会うこともなかっただろうと思う。 卒論の時はサイゼリアでワイン飲みながら、大道のことたくさんしゃべって、卒業してからも、学校の授業にゲストで呼んでくれたり、出張先の大阪芸大で偶然会って、新世界で串あげ食べて、北海道の仕事は毎年一緒で、そうやって、大人になって先生と一緒に仕事できるのが嬉しかったのに、それももうないんだーって思う。 大学三年のとき、東川で、まっさんと、いつか先生のあのポンポコのおなかをペンペンって叩いて、元気っすか?って言えるような大人になりたいねえ、って言ってたけど、それも叶わなかったねえ、まっさん。 無理してパリまで来たんだもんね。大好きなパリに、もう一回行きたい、って思ったんだね。きっと。パリで先生に会えたことが私は嬉しかったんだけど、うまく伝えられなかったよ。 久しぶりに大学の同級生のまーくんに電話して、久しぶりなのにこんな話だなんてね、って言った。 人がもうそこにいない、ということは、こういうことなんだって、私が初めて知ったのは、高校生の時だった。 それから、おばあちゃんの死、大好きだった誉太朗の死、そして先生の死。 何回そういうことがあっても、まだ実感がない。 寺崎君も、おばあちゃんも、誉太朗も、先生も、ただちょっとどっかに長いこと旅行に行ってて、会いたくなったら会いに行けるみたいな感じもある。 逆に、ぽっかり、あいちゃった穴みたいなことも、実感としてあって、空っぽっていうか、虚無っていうか、昨日までそこにあった肉体が今はそこに何もないスペースがあるっていうか。 声や話し方や笑い方や笑い顔や、そういうものって、ちょっとたつと思い出せなくなる。 高校生のとき、ある日、寺崎君の笑い顔を思い出せなくて、それに気付いたとき、あたしはなんてひどい人間なんだろうって思った。 もうちょっとたったら、また同じように、先生の顔をぼんやりとしか思い出せなくなるんだろう。 でも写真があるから。 それを見たら、思い出すよ。 写真を見たら、パリでやあやあって、ハグしてくれたの、思い出すよ。 写真てホント、いいものなんだねえ。 ホントにホントにありがとうございました。 PR |
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