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ロスでカメラマンやってるjoshからface bookにjoinしろとメールが来たので、とりあえずjoinしてみたんだけど、mixiやらmy spaceやらwaynやらもうほとんどほっときっぱなしなんだけど、他の子の話聞いてると、便利らしいんだけど、まだよくわかんないんだけど、face bookのなにがすごいって、joshがface book上でしたことが全部自分のホームのとこに出てくんのね。
joshが●●と友達になったよ、とか、joshはプロフィールの写真を変えました、とか、joshは招待機能を使って友達を一人招待しました。とか。

mixiだと日記とか何の音楽聞いてんのか、とかでしょ。

日本のsnsと海外のsnsではこだわりが違うらしい。
これっていうのは、日本人と欧米人の「気になるところ」の差みたいなものなのかしら。

まあいいんだけど、これって、逆に言ったら、あたしがプロフィールでどこいじった、とか、誰と友達になった、とか、ゼーンブ、joshにばれるってこと?

だれかお友達になってください。笑
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私をなぐさめよう(多分)としてお茶に誘ってくれたんだけど、朝からお部屋に素敵な木漏れ日を作ってくれてた大事な森が怪物みたいな重機に食いつぶされてるのを目撃してどうしようもないほど悲しんでいたんだけど、結局、自分の半生を語って8時間を終えるという偉業を成し遂げたおーちゃんと行った二軒目のフレッシュネスバーガーで飲んだレッドジンガーのホットについてた木のマドラーに焼き印がしてあった。

Start writing a novel

カオスはどこまでもカオス。だよ。
私には写真が撮れないから、
私には言葉をうまく口にできないから、
文字を書くんだろう。


言葉はーいーつもーからまわーりーしーて
道ーのうえーをーすべってくー。
だったっけ?

午後、師匠から、恩師が亡くなったってメールが来ました。

覚悟してたけど、こんなに早くそれがやってくるとは思ってなくて、やっぱり悲しくて、いろんなことを思い出すよ。

今日はたまたま午前中に石元先生からギャラリーに電話があって、なんとなくだけど、長く生きるってどんなふうなことだろうって、考えてた。

その時思ったのは、石元先生は87歳だけど、あたしの先生は、石元先生より30歳くらい若くて、でもきっと長いことはないから、87歳で見える景色を見ることができないってことだよなあ、ってことで、そしたら午後、そんなメールが来て、あたしが午前中にそんなこと考えてた時には、先生はもうここにはいなかったんだって思ったら、胃のところがぎゅーってつまったみたいになった。

りさくさんに電話して、しゃべってる間、泣かないようにって、思ったけど、無理だった。
元気だして、って言ってくれたけど、あたしより全然辛いだろうりさくさんに、あたしは、りさくさんも、って言うしかありませんでした。

大学はいってからずっと今まで、お世話になりっぱなしで、何を返せるわけでもなく、とにかくこの世界から逃げずにやることだけしかできませんでした。
発覚してから一年もたってないけど、癌だって言われてから、いつまでたっても半人前の私が私は嫌でしょうがなかったよ。

先生がいなかったら、私はこうして好きなことだけやって生きてなかったと思う。
きっとちゃんと就職して今頃は休日に美術館とか行って、私昔写真専攻だったんだよねー、くらいだったんだろう。
師匠とも出会えなかったし、今私の周りにいる大半の人たちに出会うこともなかっただろうと思う。

卒論の時はサイゼリアでワイン飲みながら、大道のことたくさんしゃべって、卒業してからも、学校の授業にゲストで呼んでくれたり、出張先の大阪芸大で偶然会って、新世界で串あげ食べて、北海道の仕事は毎年一緒で、そうやって、大人になって先生と一緒に仕事できるのが嬉しかったのに、それももうないんだーって思う。

大学三年のとき、東川で、まっさんと、いつか先生のあのポンポコのおなかをペンペンって叩いて、元気っすか?って言えるような大人になりたいねえ、って言ってたけど、それも叶わなかったねえ、まっさん。

無理してパリまで来たんだもんね。大好きなパリに、もう一回行きたい、って思ったんだね。きっと。パリで先生に会えたことが私は嬉しかったんだけど、うまく伝えられなかったよ。

久しぶりに大学の同級生のまーくんに電話して、久しぶりなのにこんな話だなんてね、って言った。

人がもうそこにいない、ということは、こういうことなんだって、私が初めて知ったのは、高校生の時だった。
それから、おばあちゃんの死、大好きだった誉太朗の死、そして先生の死。
何回そういうことがあっても、まだ実感がない。
寺崎君も、おばあちゃんも、誉太朗も、先生も、ただちょっとどっかに長いこと旅行に行ってて、会いたくなったら会いに行けるみたいな感じもある。
逆に、ぽっかり、あいちゃった穴みたいなことも、実感としてあって、空っぽっていうか、虚無っていうか、昨日までそこにあった肉体が今はそこに何もないスペースがあるっていうか。
声や話し方や笑い方や笑い顔や、そういうものって、ちょっとたつと思い出せなくなる。
高校生のとき、ある日、寺崎君の笑い顔を思い出せなくて、それに気付いたとき、あたしはなんてひどい人間なんだろうって思った。
もうちょっとたったら、また同じように、先生の顔をぼんやりとしか思い出せなくなるんだろう。

でも写真があるから。
それを見たら、思い出すよ。
写真を見たら、パリでやあやあって、ハグしてくれたの、思い出すよ。

写真てホント、いいものなんだねえ。

ホントにホントにありがとうございました。
南の方でちっちゃいホテルをやりながら大好きな人がいて、その人の担当は、美味しいコーヒーを入れること。
あたしの担当はカウンターでニヤニヤしながら世界中から集まってくるバカなバックパッカーにあそこのファヒータは最高だけど、テイクアウトにしてあたしの大好きな人の作るモヒートと一緒にここで食べた方がいいよ、とか言って、午後三時くらいからココナッツカレーを作って外に台車だして売るんだよ。
ジャガイモと鶏肉と大根が入ってんの。あとしめじ。

本当の孤独とはなんだろうか。

そんなことを忘れちゃうくらい90年代は遠くに行っちゃったね。

最後に孤独だったのは、きっと19とかハタチの頃なのかもしれないねえ。

あたしが何してても許してくれる人がここにいないということが孤独なんだとしたら、今もわりと孤独かもしれないけど、それは物理的な距離とかの問題で、実際のところ、ずっとあたしが何しててもいいからねと、言い続けてくれる人がいるあたしは、幸せなんだけど、その人とセックスをできるかどうかというと、微妙な問題だ。

あいってなに。
りあるってなに。

日曜にもんちゃんに会って、新作を見せてもらった。
幸せ。

新しい文章を、また生み出さなくちゃ。

そんで、良くんに手紙を書いた。メールか。

よい写真を撮る人がいて、あたしを助けてくれるんだよ。

さよなら。
もうなんだっていきづまりであるわけだけど、今日は酔っぱらってさんざん愚痴ってこんなこと誰にも言えないって思って溜め込んでたことをゆって、だから相手であるおーちゃんにはいきづまり感を逆に与えてしまったわけですが、なんかわかったことがあて、だから今年が○○家だってことに対して苛立ちを共有してくれる人が欲しかったわけで、その意味ではおーちゃん以外のひとはあきらめちゃってんなって、一緒に苛立ってくれる人を見るとさらにあきらめちゃってる人への怒りが逆作用で募るわけで、結局お家に帰ってみたら、一ヶ月ぶりくらいにサイモンからメール来て、病気で貧乏人のサイモンと一緒に生きていったら苦労すんの目に見えてんのに、サイモンからのメール見てもういとおしくていとおしくてしかたなくなって、一緒に映画行った奴なんてどうでもいいような気がしてきたから、そいつをまずは困らせて自分に決着付けてからやっぱサイモンとか言ってずるい人になってもいいような気がした。

みんなごめん。

あたしは皆に嘘をついてるんだよ。好きな人に好きとは言ってあげないんだよ。
だって無意味なんだもん。


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